2011年10月1日土曜日

素直になること

私にとって地元とは、今のところ、私のカラの内側のことをいうのかもしれない(感覚として似ているのか)

親のおかげで幼稚園から私立に入った。だから、幼稚園からの友達はいるものの地元の友達、幼馴染はいない。別にそれを悲しんだこともないし、淋しく思ったこともない。けれど、自分のことを話すときに感じる穴の要因のひとつなのだろうか(いない云々ではなく、悲しんだりというところ)

話は変わるが、私は今、喫茶店でバイトをしている。
結局、私はビビリなんだ。一度道を踏み外してしまえば簡単なんて思うだけで、大学とかオヤとかのせいにしてビビリな自分を認めていなかった、ビビリだから。

そんなビビリでワガママでスネカジリで道を踏み外した私(あーサイテーだな、ゲロ吐きそう)を地元の人は可愛がってくれる。

地元といってもお店の周り「地元」のひとです。こんなサイテーな私の名前を覚え、かまってくれる(おいしいものとか、季節の炊き込みご飯とか、部屋に飾る花とかくれる、おはぎも)二十歳過ぎて知り合った見ず知らずのおばさんに、ちゃん付けで呼ばれる日が来るとは思ってもみなかった。

だから、だから今こそ、人間関係は大事だ。

こんなサイテーな私だからこそ、今こそ、人間関係は大事だ。

地元の変わらない日々から学ぶことは多いし、それに大きいから。

最初は自分を恥じていた。そのせいでイライラして、そのせいで仕事はジタバタして、結局ウワーンってなって、もう最悪。
けれど、笑いかけてくれた時、ふと力が抜けた。
力がぬけて、もっと普通で、素直でいいんだと思えた。笑顔の本気だ。

大地震の日、私は仕事をしていた。揺れが大きかったからお客さんに避難をうながして、そしたら『ケント見てて』って、子供を預かって、お母さんどこいっちゃうのーって思ったけれど、ケントの顔みたらおいしそうな顔でタマゴボーロ食べてて、ふと肩の力が抜けて、今日は長くなりそうだなんて思った。そしたらやっぱり、お店のなかは帰れない人たちいっぱいで、私たちも0時まわっても帰れなかった。次の日からも色々なことに忙殺された。

けれど、いつもより地元の多くの人が笑顔で、その笑顔が近くて単純に、いいなぁと思えた。 笑顔の本気。

前まではビビリだから笑顔になるのも、向けられるのも怖かった。信頼することが怖いんだろう。

けれど、最近はいいものをいいなぁと思えることだ多くなった。

まだまだビビリでワガママでスネカジリで道を踏み外したサイテーな私は、目の前のことにとらわれてこのことを何度も見失いそうになるけれど、地元から学び、暮らしている。さぁ、がんばりましょう。

2011年6月9日木曜日

まだ帰ることは出来ない場所。

私は、地元が嫌いでした。
中学の時にここを出て行こうと決めました。
ここから出て、もっと広い世界を見たかったからです。

大学進学のため上京して、1年目は実家にはほとんど帰りませんでした。
こちらでの新しい生活の楽しさから、地元の事はほとんど考えていませんでした。

そんな日々を送っている中、グループ展を行う事になりました。
毎日テーマを考えていましたが、なかなか決りませんでした。
自分とじっくり向き合っていく中で、地元での思い出や友達・家族の事が頭を過りました。

少しずつ、自分記憶を辿り、故郷を研究していきました。
その中で、一番大切な事と向き合わず生活していた事に気づきました。

小さな頃は大好きだった場所が、思春期に入ってからは遊ぶ場所もなく情報も乏しい
つまらない場所になっていたのです。田舎出身ということがコンプレックですらありました。
東京という離れた場所で生活したため、あの村の素晴らしさに気づく事が出来たのです。

春の昼間に暖かい日の光を感じると、草木のにおいを思い出します。そして、そのにおいが
とても嗅ぎたくなってしまい地元に帰りたくなります。
春の夜の生暖かい空気を感じると、地元で嗅いだ春の夜の匂いを思い出します。

梅雨の夕方に、傘をさしながら少し肌寒さを感じながら家路に向かう時は
早く母が待つ暖かい家に帰りたいと思いながら通学路を急ぐ、わくわくした気持ちを思い出させます。


こんな風にふとした、匂いや季節を体で感じた時に
地元の空気感を脳が覚えていることがしばしばあります。

そんなとき、答え合わせをして合っていた時のような嬉しい気持ちになります。
なんにもない場所だったこそ、遊ぶものは自然と友達と家族と動物しかありませんでした。
毎日草花を集めたり、鳥のひなを観察したり、魚を捕まえて遊んでいました。

このような感覚をくれた地元という存在を誇りにおもいます。


あの場所には子供の私には、とてもいい環境でした。
しかし、まだ帰ることは出来ない場所なのです。

まだまだ、帰って落ちつくべきではないと考えるのです。

2011年6月2日木曜日

Sptnikoさん

2月に表参道GYREで「Tweet Me Love Sptniko」という展示を見た時に最初私達がやろうとしていた事?と遠からず近からず

なんだか面白いからずっとおすすめしようと思っていた方です。

面倒なので略歴とか省きます。「スプツニ子」って読みます。
ブログはこちら→http://sputniko.com/blog/

◯「googleのうた」http://www.youtube.com/watch?v=IoYcp5xbEzc
◯「ワッキーのうた」http://www.youtube.com/watch?v=wtw2El57xvo&feature=relmfu
◯「生理マシーンタカシの場合」http://www.youtube.com/watch?v=gnb-rdGbm6s

この3つが上映されてました。
お時間ある時に是非みてみて♡

2011年5月21日土曜日

地元嫌い

私は地元、板橋が好きではない。
周りの人は大体地元が大好きで、そうゆうのを見ると羨ましくなる。

なぜ嫌いなのか。

治安が悪い、ださい等の問題のあるけれど、根本的なところで言うと地元で過ごした日々が楽しいものでは無かったからだと思う。

私は大学に入るまで、学校とゆう場所が嫌いだった。

窮屈な枠組みや、女子特有の連帯感みたいなものが苦手でしょうがなかったのに、無理に周りに合わせて、疲れていた。

そして、治安が悪い街の為に変質者にも何度か会った。
トラウマで男の人が怖かった時期もある。

そんな状態のまま大学に上がり、相原に引っ越した。

相原での生活は今までとは比較出来ないくらい毎日楽しく、それに合わせて相原とゆう街にも愛着が湧いた。
街に、とゆうよりも
街に住んでいた時の思い出や周りに居た人々に愛着がある。

そして今私は再び板橋に住んでいる。

今の生活は楽では無いが、好きなことをやらせてもらっていて、とても楽しい。
自分自身も10代の頃より強くなった。

相原での生活を経たことで昔とは違う精神や視点で地元を見れるようになった気がする。
実際、久しぶりに地元の商店街を歩いてみたら行って見たいお店をいくつか見つけた。昔の自分だったら見落としていただろう。

板橋での生活を楽しい思い出に塗り替えて行きたい。

2011年5月18日水曜日

少女のいた場所

ここ数年は地元に帰ったり、地元の話をするのはあまり気が乗らない
家族とも友達とも痼りの残る場所だから。

東京の大学に進学して、2年にあがる年の春休み
私は幼なじみで初恋相手だった人の子供を身ごもった。

でもわたしは産めなかった
自分のことも相手のことも信じてなかったからだと思う。


少女だった私は臆病で弱過ぎた
空回りして絡み付いてちゃって、ほどけなくて

ぷつッ

絡んだところを切り捨てた


そんな少女のいた場所
それがいまの私にとっての地元


でも、これからさき自分にとっての地元というものは変わっていく
今まで生きてきた地元は自分のルーツとなる

少女は女になるために強く、たくましく、美しくなり
女になって、新たな地元を持つ(結婚とか妊娠 etc…)

地元(街)というのは
そんな女たちの力によってつなげられた生活網
なんか、結婚するときとか相手の地元が自分に合うのか探ってしまいそう

当たり前なことなんだろうけれど、面白いなって。。。
結婚は生きていく場所も選ばなきゃならないんだな

網が一本一本絡み合いながらつくられていくように
人と人、人と街が寄り合うことでその場所・人が結ばれ繋がれていく


これは東北を襲った大震災のときにも感じたこと

私の実家は仙台で、薬局とデイサービス施設を経営しているために
施設は緊急避難場所となり、生き場のない方を保護することになった

家族はみな無事でよかったけれど、
避難場所として施設を開放するときの母は使命感に取り憑かれていた

家の方が落ち着かないうちに、
薬の配達車の緊急車両の手配や施設を避難場所として登録するために
役所や県を相手に申請を求めていた

彼女の行動で
薬局の車が緊急車両として認可され、在宅患者の方々へ薬は配られた

震災によって難民になったけれど
難民になったことで人が身近になっていた
感情は全く逆だけど
祭りでもやっているような、ワクワクするような気分にさえ似ていた気がする
同じことを経験することで人は心を通わせているんだなー


結い目を狭めて密着させればさせるほど
網はしっかりと頑丈なものとなる

「難民」というと、どうしてもマイナスなイメージが先立つけれど
実際はプラスへと換える先駆者みたい

「未来難民」もそう悪くはないのかもしれない
一から関係を築いていくことは容易くはないけれど
もう結いが絡まってしまわないように、人や場所との出会いを大切に育んでいく
そんな女になりたい

2011年5月7日土曜日

顔の見えない街


私にとっての 地元感は とてもさみしい

まず 地元はどこと聞かれたときに

わからなくなる

生まれた場所 育った場所(保育園、小、中、高の全てで引っ越し)

そして 現在の遠く離れたここ

どこが地元? 地元の友達とかいないし 

地元に帰って 誰かに会いに行く場所はない 家のみ

両親の暮らす街は 住宅街でデパートやチェーン店がある街だ

友達が店を継いでいたり お店を出すような事はまずない

どこかの街から 誰かが働きに来ていて 

その街からは どこかへ働きに出る

その街でどうこうしたいと言う願望は 生まれにくい

スーツを着た人々は家から出たら 電車に乗り

どこかでどんな仕事をしているか わからないのが私の地元

現在 私が暮らす街ではそんな事は起こらない

歩いている人々が どこの何屋さんかすぐわかる

行きつけの店のマスターもママもお母さんもお兄さんも

みんなに 会いに行けるし 帰る場所がたくさんある

そこに行けば 誰かと話せて温かい気持ちになれる


私の精神的な地元は塗り替えられ いまここに存在している

帰る場所 居場所が多いほど 地元に近づく気がする

地元のない私が 探し求めた 本当の地元は

縁も所縁もない この土地だった 

いや違う  縁があったからここにいるのだ

私は ドカリのように自分に似合った 殻を探し求める

その殻は 小さくても 大きくても 動けない

自分が成長しても また殻を探し求める

殻は 街であり 居場所である


似たような都市 チェーン店のたくさんある街には

もう住めなくなっている私は 次はどこへ行くのだろう

会いたい顔に出会える街を求めて

まだ見ぬ 地方や海外に向かう

顔の見えない街の未来を案じるが

生活の全てのプロセスが 街の中に存在しない街は

生活の中間地点でしかなく 面白みがないのだ

それゆえ 人との付き合いは薄くて済むのだ


震災の時に 東北の人々が見せた譲り合いは

顔が見える街だからこそ起こる 振る舞いである

顔の見えない街では 品薄や目には見えにくい事件が起きたではないか


人間関係が煩わしいと殻にこもると 生活にハリがなくなり面白みがなくなる

人を信頼できる環境にすることが 面白い地元を作る秘訣かもしれない

人間関係も街も 信頼 謙虚 で成り立つかもな


顔の見える地元を求めて 



第二弾 「地元」について



お久しぶりです

皆さん 幸せに 健康に 女子してますか?

私は環境に恵まれ 仕事の生活も充実していますが

その幸せの中でも不思議なことは起こります

過剰な心配や束縛やらなんやらに 

絡まってしまっています

信頼 謙虚 許容 忘れてほしくない大切な言葉です

ちょっとした 暴露は置いておいて


第二弾のテーマは「地元」です

このテーマには自然に 家族 友達 街 

などの個人的な経験や思い出が含まれています

そして 地元を離れ 違う街で暮らしていたり 

仕事をしに行っていたり 

地元を離れて気づくことがあると思います

もうひとつ メンバーの中に地元が仙台の子がいたり

都会で感じた震災被害に対しても 女性としてどう向き合うのか

何を感じたか 未来難民として 女性として

地元を解いていきましょう


説明終了