私にとって地元とは、今のところ、私のカラの内側のことをいうのかもしれない(感覚として似ているのか)
親のおかげで幼稚園から私立に入った。だから、幼稚園からの友達はいるものの地元の友達、幼馴染はいない。別にそれを悲しんだこともないし、淋しく思ったこともない。けれど、自分のことを話すときに感じる穴の要因のひとつなのだろうか(いない云々ではなく、悲しんだりというところ)
話は変わるが、私は今、喫茶店でバイトをしている。
結局、私はビビリなんだ。一度道を踏み外してしまえば簡単なんて思うだけで、大学とかオヤとかのせいにしてビビリな自分を認めていなかった、ビビリだから。
そんなビビリでワガママでスネカジリで道を踏み外した私(あーサイテーだな、ゲロ吐きそう)を地元の人は可愛がってくれる。
地元といってもお店の周り「地元」のひとです。こんなサイテーな私の名前を覚え、かまってくれる(おいしいものとか、季節の炊き込みご飯とか、部屋に飾る花とかくれる、おはぎも)二十歳過ぎて知り合った見ず知らずのおばさんに、ちゃん付けで呼ばれる日が来るとは思ってもみなかった。
だから、だから今こそ、人間関係は大事だ。
こんなサイテーな私だからこそ、今こそ、人間関係は大事だ。
地元の変わらない日々から学ぶことは多いし、それに大きいから。
最初は自分を恥じていた。そのせいでイライラして、そのせいで仕事はジタバタして、結局ウワーンってなって、もう最悪。
けれど、笑いかけてくれた時、ふと力が抜けた。
力がぬけて、もっと普通で、素直でいいんだと思えた。笑顔の本気だ。
大地震の日、私は仕事をしていた。揺れが大きかったからお客さんに避難をうながして、そしたら『ケント見てて』って、子供を預かって、お母さんどこいっちゃうのーって思ったけれど、ケントの顔みたらおいしそうな顔でタマゴボーロ食べてて、ふと肩の力が抜けて、今日は長くなりそうだなんて思った。そしたらやっぱり、お店のなかは帰れない人たちいっぱいで、私たちも0時まわっても帰れなかった。次の日からも色々なことに忙殺された。
けれど、いつもより地元の多くの人が笑顔で、その笑顔が近くて単純に、いいなぁと思えた。 笑顔の本気。
前まではビビリだから笑顔になるのも、向けられるのも怖かった。信頼することが怖いんだろう。
けれど、最近はいいものをいいなぁと思えることだ多くなった。
まだまだビビリでワガママでスネカジリで道を踏み外したサイテーな私は、目の前のことにとらわれてこのことを何度も見失いそうになるけれど、地元から学び、暮らしている。さぁ、がんばりましょう。