2011年5月7日土曜日

顔の見えない街


私にとっての 地元感は とてもさみしい

まず 地元はどこと聞かれたときに

わからなくなる

生まれた場所 育った場所(保育園、小、中、高の全てで引っ越し)

そして 現在の遠く離れたここ

どこが地元? 地元の友達とかいないし 

地元に帰って 誰かに会いに行く場所はない 家のみ

両親の暮らす街は 住宅街でデパートやチェーン店がある街だ

友達が店を継いでいたり お店を出すような事はまずない

どこかの街から 誰かが働きに来ていて 

その街からは どこかへ働きに出る

その街でどうこうしたいと言う願望は 生まれにくい

スーツを着た人々は家から出たら 電車に乗り

どこかでどんな仕事をしているか わからないのが私の地元

現在 私が暮らす街ではそんな事は起こらない

歩いている人々が どこの何屋さんかすぐわかる

行きつけの店のマスターもママもお母さんもお兄さんも

みんなに 会いに行けるし 帰る場所がたくさんある

そこに行けば 誰かと話せて温かい気持ちになれる


私の精神的な地元は塗り替えられ いまここに存在している

帰る場所 居場所が多いほど 地元に近づく気がする

地元のない私が 探し求めた 本当の地元は

縁も所縁もない この土地だった 

いや違う  縁があったからここにいるのだ

私は ドカリのように自分に似合った 殻を探し求める

その殻は 小さくても 大きくても 動けない

自分が成長しても また殻を探し求める

殻は 街であり 居場所である


似たような都市 チェーン店のたくさんある街には

もう住めなくなっている私は 次はどこへ行くのだろう

会いたい顔に出会える街を求めて

まだ見ぬ 地方や海外に向かう

顔の見えない街の未来を案じるが

生活の全てのプロセスが 街の中に存在しない街は

生活の中間地点でしかなく 面白みがないのだ

それゆえ 人との付き合いは薄くて済むのだ


震災の時に 東北の人々が見せた譲り合いは

顔が見える街だからこそ起こる 振る舞いである

顔の見えない街では 品薄や目には見えにくい事件が起きたではないか


人間関係が煩わしいと殻にこもると 生活にハリがなくなり面白みがなくなる

人を信頼できる環境にすることが 面白い地元を作る秘訣かもしれない

人間関係も街も 信頼 謙虚 で成り立つかもな


顔の見える地元を求めて 



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